稲本虎翁

稲本虎翁(本名・寅翁)(いなもと とらおう、-)は日本の右翼活動家。日本皇民党総裁、薩長土連合(現・西日本獅子の会)初代理事長、白神組幹部、福岡県出身。 

略歴
稲本虎翁(本名・寅翁)は福岡県に生まれる。
昭和30年代、南道会白神組(のち直参に昇格、一和会加入)加入。同じ南道会系で福井組組員だった五代目山口組若頭宅見勝とは五分の兄弟である。
昭和38(1963)年、南道会三代目山口組(組長・田岡一雄)傘下になる直前、白神組組長・白神一朝(本名・英雄)の紹介により、全日本愛国者団体会議(全愛連)議長・萩島峯五郎の門下生となる。稲本は、ここで右翼活動のノウハウを学んだとされる。
同じ高松市の右翼「大日本義和団」代表・岩崎壽昭は先輩格にあたり、のちの竹下登に対する“ホメ殺し”はここで得たものである。
昭和47(1972)年、香川県高松市屋島西町で日本皇民党立ち上げ。結党式には、多数の大物右翼も参加し、大日本愛国党総裁・赤尾敏も出席した。
当時、高松市に本拠を構えた理由としては、二番目の夫人が高松市でバーを経営していたからであり(そのバーは「翁」といい、虎翁の翁から附けられた)、その夫人とは別れたが、新しい夫人となる女性(現未亡人、クラブ「サンジュリアン」経営)と出会い、また、二代目総裁となる大島竜珉(本名・槽野通雄)とも、ここで知り合い、大島は日本皇民党への入党を許可された。
昭和54(1979)年3月から香川県議会選挙の直前まで、「鎌田道海先生を励ます会」という名で、香川県議会議員に立候補した鎌田道海に“ホメ殺し”を行う。
平成2(1990)年11月、アントニオ猪木(本名・猪木寛至)にイラク・クウェート行きに同行する。
平成3(1991)年秋急死。なお、稲本の葬儀は、民論社畑時夫が本葬儀委員長、岡村吾一中村武彦志賀敏行高橋正義木村秀二といった大物右翼が参列。二代目日本皇民党総裁には、大島竜珉[[(本名・槽野通雄)が総裁に就任。
参考文献
「われ万死に値す ドキュメント・竹下登」-岩瀬達哉、新潮社刊
「日本皇民党の正体」-(毎日新聞社刊『エコノミスト』 92.11.24)

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  • 最終更新:2010-06-12 18:19:29

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